日本の匠シリーズ 日本の匠シリーズ

日本の匠シリーズ

VOL.11 江戸切子 東京都大田区/鍋谷グラス工芸社

匠のカット技術が織りなす華やかな紋様。世界が認めた日本屈指の伝統工芸・江戸切子。

180年続く江戸切子を今に伝える、伝統工芸士・鍋谷淳一が目指すもの。

江戸切子は、1834年(天保5年)江戸大伝馬町の「びいどろ屋」加賀屋久兵衛が、金剛砂を用い、ガラスの表面に彫刻したのが始まりと言われています。明治時代に入ると、ヨーロッパのカットグラスの技法が導入され、様々な模様を施すガラス工芸の技法が確立。その技術は職人たちによって伝承され、現在は、国と東京都から指定される「伝統工芸品」として世界中にファンがいます。

あらゆる分野の高度な技術を持った職人が数多く集まる東京都大田区。その一角に"江戸切子のフロントランナー"ともいうべき職人がいます。それが鍋谷グラス工芸社の三代目にして、伝統的な技術や技法に熟練した職人だけに与えられる「伝統工芸士」の称号を持つ鍋谷淳一さんです。鍋谷さんは、江戸切子のプレステージをもう一段上げて、多くの若者たちが職人を目指してくれるような"産業基盤の安定"がこれからの課題とおっしゃいます。

2013年 経済産業省
商務情報政策局長賞受賞作品「月光」

昔気質の父のもとで6年。天賦の才を開花させた驕りなき匠。

鍋谷さんは、カットグラスの老舗メーカー・カガミクリスタルで江戸切子の製作ノウハウを学びました。もともと鍋谷グラス工芸社は、先々代(祖父)が、カガミクリスタルの協力会社として創業したという関係性もあり、鍋谷さんがお父さまの跡を継ぐことを決めた時「カットグラスの製作工程をすべて学べるカガミさんで修業させてもらってこい」ということになったそうです。

「3年間の修業を終えて鍋谷ガラス工芸社に戻り、父のもとで仕事をするようになりました。父はまさしく昔気質の職人で "仕事は見て覚えろ"という人でした。とはいえ、父もカガミクリスタルで修行をした経験があったため、技術のバックグラウンドは同じです。ですから、多くを語らぬ父でしたが、半人前の私でも仕事ぶりを見ていればなんとなく理解できたんです」。

謙遜気味に話す鍋谷さんですが、6年目には自分のオリジナル作品で東京都知事賞を受賞しています。一般的に江戸切子の職人は、6、7年でようやくメーカー依頼の賃加工の仕事ができるようになり、自分の作品がつくれるようになるまでには15年ほどの経験を要すると言われます。つまり、鍋谷さんは早くから才能を開花させた天才肌の職人だったのです。

目の錯覚を考慮して仕上がりを予測。図面を無視するのも職人技の見せどころ。

鍋谷さんの普段の仕事は、カットグラスのメーカーから、まっさらな生地(グラス)と図面を渡され、それを図面のイメージ通りの製品にして納める賃加工です。図面を拝見したところ、ここは何ミリ幅でカットして、ここにはこんな模様入れて欲しいと事細かな指示が記されていました。

「つまり"こんな江戸切子をつくりたい"と発想するのはメーカーで、職人はそのリクエストに応えることが求められます。当然これらは量産が求められるわけですが、1つ1つ手作業でカットするため厳密に同じものはつくれません。それを、どこから見ても同じに見えるよう仕上げるのが職人技です」。

たとえば、同じ図面で青いグラスと赤いグラスの江戸切子を仕上げる場合、図面の指示通りに同じ太さで線をカットすると青の方が太く見えます。これは色の違いや濃度によって透明にカットした線の太さが異なって見える目の錯覚です。そこで、赤いグラスの線を幾分太目にカットして、仕上がりは同じに見えるよう計算しながらカットします。つまり図面は、あくまでも完成像のイメージ図であり、実際の製品として仕上げるには、幾多の技術的な駆け引きがある。そしてここに技術力の差が表れるのだそうです。

作家性の高い欲求を満たす作品づくり。その実現は日々の仕事があってこそ。

日常的な賃加工の他に力を注ぐのが作品づくりです。江戸切子の職人たちは皆"江戸切子協同組合"に所属しており、1年に1回、組合が主催する「新作展」に自分のオリジナル作品を出展します。ここで評価を仰ぐことが、江戸切子職人としてのモチベーションになるとおっしゃいます。

「伝統工芸とはいえ、江戸切子は、より多くの方に使っていただきたい"実用品"であって、観賞用の"芸術作品"ではありません。しかし、そうした思いがある一方で、メーカーから提供される図面を基にカットするのではなく、培ってきた技術を自分の思いのまま表現してみたいという作家性の高い欲求もあります。こうした気持ちを満たしてくれるのが新作展への出展なのです」。

作品づくりは真剣勝負ですものね?と問うと、「いや、真剣勝負は日々の仕事の方です」と思いがけない答えが返ってきました。
「作品は、自分が発想し得るデザインに、持っている技術をフル活用して取り組みますが、すべては想定内なのです。ところが賃加工の場合は、とても自分では発想できない図面が舞い込みます。それをカタチにすると「こんなこともできるんだ!」という発見があり、結果的に自分の作品も成長してきたところが多分にあります。私たち職人は日々の仕事によって鍛えられてゆくのです」。

伝統技術の後継者であり、ビジネスのパートナーでもある。

職人の世界は不安定。江戸切子にも新しいビジネスのカタチが必要だと鍋谷さんはおっしゃいます。またそこが確固たるものにならなければ、若い世代に技術の伝承をすることは難しい。若い職人が育ってゆかなければ伝統工芸の未来は先細ってゆくばかりです。そう考えていた矢先、鍋谷さんに朗報がありました。

「息子が会社を継いでくれることになったんです」。なんと、売り手市場と言われるこのご時世に、自ら進んで家業を継ぎ、厳しい職人の世界に飛び込もうというのは実に頼もしい限り。現在は、祖父や父と同じカガミクリスタルで修業中、来年の4月からは父である鍋谷さんのもとで働き始めるということです。

「会社を継いでくれと言ったことはありません。息子なりに、いろんな角度から江戸切子を観察して、可能性を感じて下した結論だったようです。ただ、実際に息子が"継ぐ"と宣言した時は、まだまだ頑張って、いいカタチでバトンタッチしなくてはと思いましたね。でも、やり甲斐はあります。息子と知恵を出し合って、江戸切子の新しいカタチを築いていくのは、親としてこれ以上嬉しいことはありません」。江戸切子の天才伝統工芸士・鍋谷淳一さんのチャレンジは、どうやらこれからが本番のようです。

取材手記 ライター吉村高廣
父の背中を見て強くなる。職人の理想像を感じました。

堅忍不抜(けんにんふばつ)。これが鍋谷淳一さんの座右の銘です。強い意志をもって、どんなことがあっても志した道を究める。この世界に入った時に胸に刻んだこの思いは、2008年に江戸切子伝統工芸士の称号を手にした時に、ひとまず成就したはずです。しかしながら、ご子息が鍋谷さんの跡を継ぐことになった今後は、かつてお父さまがそうであったように、ひたむきに仕事に打ち込む父親の背中を見せてゆくことが務めになるでしょう。そしてその営みが、いつの日か新たな匠を生むことを期待したいと思います。

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■記事公開日:2017/12/14 ■記事取材日: 2017/11/29 *記事内容は取材当日の情報です
▼編集部=構成 ▼文=吉村高廣 ▼撮影=吉村高廣 ▼写真提供=鍋谷グラス工芸社

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