vol.1 伊賀焼の土鍋 三重県伊賀市/長谷園の伊賀焼土鍋
いいモノとは、特別な日だけの脇役ではないと思います。日々の生活に欠かせない道具として、使うほどに味わいが出て重宝する逸品こそが、いいモノとしての主役になれます。今回は三重県伊賀市で焼かれる伊賀焼の土鍋です。
天保三年に築窯して以来、180年の伝統文化を継承する三重県伊賀市丸柱(阿山地区)の長谷製陶株式会社「長谷園」。ここで焼かれる伊賀焼の土鍋、その魅力はまさに土の耐火度です。伊賀の土には一般的なものより耐火度が高いため、昔から直火にかけられる土鍋は伊賀焼が重宝されていました。比較的流通している安価な土鍋は、外国産のペタライトという土を混ぜて耐火強度を上げていますが、自然が持つ本来の素材の強さを引き出している伊賀の土鍋は別格だと言えます。
伊賀市周辺は、はるか昔の300万年から400万年ほど遡ると古琵琶湖の底に位置していたと言います。伊賀土鍋で使う土は、この古琵琶湖層から採掘します。特に層の中でも、河口付近で掘る粒子の粗い重い「蛙目(ガイメロ)粘土」と、湖の中心部に沈殿した粒子の細かい軽い「木節(キブシ)」粘土の2種類の巧みな配分で、どの土鍋にも退けを取らない逸品を生み出しています。
窯の炊き加減、蒔選び、そして伊賀産の釉薬など、優れた素材と匠の腕があることは重要です。しかしながら、それだけでは伊賀焼土鍋が一流と言われることはありません。今もなお継承し続ける「伊賀焼の文化」が息づいていなければならないと、七代目長谷優磁氏は言います。その文化とは、何よりも普段の食卓の中心にあって、美味しいご馳走を作るためにあるトップクラスの道具を目指す、ということに他なりません。
その昔、伊賀焼の職人たちは、競い合って土鍋を薄く焼き上げる腕比べをしていたそうです。長い間地圧に耐えた土は、石炭状の有機物を含み窯で焼きあがると燃え尽きて気孔だらけの表情を出します。そのため熱が加わり膨張しても直火に強い土鍋ができます。伊賀焼土鍋は薄く仕上げても丈夫なのは、この土のおかげ。ガスコンロに耐えられるギリギリの薄さで完成した土鍋は、だし汁や具材を入れて主婦が運ぶのにも楽だと評判をいただいてます。ふたの持ち手には菜箸やおたまを置ける切れ込みが入っています。こだわりは、使い手の身になってモノづくりしていくことです。
昨今、教育の場では食育が讃えられる一方で家族団らんが日常でない社会との矛盾が囁かれています。伊賀焼の長谷園の発想は、この矛盾をあえて肯定し、それならば主婦の役割を少しでも楽にして誰もが調理人となればいいのでないか・・・七代目長谷優磁氏の発想の軸は"台所、食卓、道具"というハードにあるのではなく、"料理をする、調理をする、さらに美味しく楽しく食べる"というソフトに核があります。
七代目長谷優磁氏は「食卓の中心に鍋があれば皆で囲んで皆が好きなように食することができる。飲みながら食べる、作りながら食べる、話しながら食べる。卓上で"ながら"がいい」と話します。
そんな食育ではない卓育というキーワードがメッセージとして浮かび上がる長谷園では、卓育にまつわる機能・デザインともに魅力ある商品を豊富に作っています。冷やご飯をふっくら炊きたてのように蒸して温めたり、食材と調味料を入れるだけで料亭の逸品が仕上がる「陶珍」、好みの素材を網に載せて数分で燻製が出来上がる「いぶしぎん」などが人気だとか。
長谷園の伊賀焼土鍋は、使い勝手を最優先し「煮る、蒸す、炒める、焼く」の要素を巧く活用できるように、メイン用途に応じて様々なフォルムやデザイン、サイズを用意しています。普段使いにこそ本物の匠の土鍋、伊賀焼土鍋ではないでしょうか。本物は違います。
長谷園の敷地内の建物は、ほぼ国の登録有形文化財に指定されいるそうです。名古屋から最寄りの「伊賀上野」駅までは2両編成の関西本線に揺られ、立派な瓦屋根がひしめき合う日本家屋を、車窓から眺め楽しみました。古き良き日本の風景が伊賀には残されているのですね。お話を伺った長谷優磁さん、ショップの皆様、伊賀上野・長谷園間をご親切に送迎いただいたタクシードライバー様。伊賀の人は、陶器のような心温かなお人柄でした。