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第6回 今に続く武田のイメージを作り上げた広報マン 高坂昌信

武田晴信 (信玄)・勝頼の2代に仕え、武田四名臣の1人に数えられた重臣。本名は春日虎綱(かすがとらつな)だが、後年に名乗った高坂昌信で知られる。激戦の最前線である川中島・海津城に入り、上杉謙信に対抗しつつ、周辺地域の人心を掌握するという、武田家にとって重要な役割を担った。1527(大永7)年?1578(天正6)年。

武田信玄と上杉謙信が激突し、12年にも及んだ"川中島の戦い"。「勝敗は決していない」というのが一般的な見方だ。しかし、現在の長野県においては、武田色が非常に濃く、上杉色は北信濃地域にわずかに残る程度だ。勝敗が決していないにも関わらず、いったいなぜ?
そこには、武田家の重臣・高坂昌信が展開したイメージアップ戦略があった。何かあれば「戦って決着をつける」という力がすべての戦国時代にあって、一見、遠回りとも思えるこの戦略は、将来を見据えていた昌信の勝利であり、大いにその効果を発揮した。今回は、イメージアップ戦略を駆使した昌信の活動から、現代ビジネスへのヒントを探っていきたい。

情報を拡散してイメージアップに成功

2018年のインターネット広告費は1兆1518億円。2019年には、テレビを抜いて1位になると予想されており、企業にとってインターネットを活用した情報発信はもはや必須である。中でも、近年注目されているのがSNSプロモーションだ。ネット上の"口コミ"ともいうべきSNSは、情報の拡散に関して圧倒的なスピードと影響力がある。訴求したい情報を、端的かつ手軽に発信できる口コミによるプロモーションは、インターネットメディアが普及する以前から有効な広告手法とされてきた。高坂昌信は、遡ること戦国の世にあって、この"口コミの伝播力"を最大限に活用して、信濃(長野県)の人々に対して武田軍のイメージアップを図り、敵地への進出を優位に導いた"敏腕広報マン"だったのだ。
戦国武将が近隣国への進出を目指すのは、現代でいうところの"企業が新市場を開拓していくこと"と同じだ。そのため、迎える側は警戒心を持つことが多い。信玄の動きを知ると地元の実力者の多くは困惑し、関東管領(関東地区を治める行政職)の要職にあった越後の大名・上杉謙信を頼った。これを受けて謙信は、「武田は侵略者である。決して心を許してはならぬ」と非難し、信濃進出を目論む信玄の壁となった。
このままでは、新市場開拓はままならない......。

そこで昌信は、信濃進出に正当性を持たせ、逆に地域の人々の方から「Welcome!」の声が上がる環境をつくろうと考えた。これはまさに、大規模商業施設が地域参入を行う上で欠かせない「世論喚起」と同じ手法だ。たとえば、多発していた洪水から甲斐国を守った"信玄堤"の堤防工事などを例に挙げ、「武田が地域の人々をいかに大事にしているか」「洪水がなくなりどれだけ豊かになったか」「甲斐国では武田は歓迎されている」といった内容を、多方面からの"口コミ"で発信したのだ。ここには、1.武田の経営姿勢、2.地域のメリット、3.地域の現状などが含まれている。さらに昌信は、「新市場開拓の目的は侵略ではない」と宣言するのも忘れなかった。

一方で、これまでの"領国経営者"に対する批判も忘れていない。「これまで信濃の有力者たちは抗争に明け暮れ、経営責任を果たしていないが、武田の経営は、地域の安定と経済の維持である」ということを大々的にPRしたのだ。その情報も口コミで拡散され、信濃中央部から東部・南部へと伝わり、やがて北部まで拡がった。信濃の人々にとっても、日々の暮らしを左右しかねない重要な情報だからこそ、その拡散は早かった。昌信は、そのスピードも計算していたに違いない。

積極的な情報収集で、リスクヘッジ 経営姿勢、地域のメリットを口コミでPR

情報と経営姿勢が一致して信頼を獲得

この頃、昌信が拠点にしたのが海津城(現在の松代城:長野市松代町)で、上杉と向い合う最前線だ。この地の人心を掌握すれば、勝負を優位に展開できることは間違いない。そこで、昌信は思い切ったイメージアップ戦略を実行する。地元の名族・高坂家と縁組みし、自ら"春日"の姓を捨て"高坂"を名乗ったのだ。これにより、自身がこの地に身をささげるという覚悟を周囲に示したことになる。これには地域の人々も驚いた。と同時に、武田の重役が生涯、地元のために働くことになったことを歓迎して「この地の領主は武田だ」と認識し、応援するようになったと言う。

企業が新しい地域に出店したり、新商品を市場に投入したりするときは、「店や商品の魅力」「購入メリット」などを宣伝し、できるだけ良いイメージを形成しようとするのが定石だ。これに反応した消費者は、店の様子や商品の使用感を周囲の人に情報拡散していくのが口コミによるプロモーションだ。ただリスクもある。良くも悪くも、任意に拡散されてゆくのが口コミなので、悪いイメージが拡がれば客足は途絶え、商品は売れ残ってしまう。

ここで肝心なのが"情報発信者(企業や店舗)の姿勢"である。それは今も昔も変わらない。昌信は、「人々を大事にする」という武田の領国経営を行う上での基本理念を体現すべく"春日"の姓を捨て覚悟を見せた。その誠意が人々にも伝わったことで、信濃の武田色は強まり、現在もその影響を残している。つまり、広報PRと経営姿勢が善方向で一致して、はじめて口コミ・プロモーションは成功する。このあたりは現代のビジネスでも大いに心したいポイントと言えるだろう。

'勢いに乗る'には、情報分析も重要だ "情報発信者(企業や店舗)の姿勢"を示す

徹底的に考え抜く。そして成功させる。

昌信の通称は「逃げ弾正」。これは、戦の最中に逃げてしまう臆病者という意味ではなく、むしろ正反対で、勇敢かつ冷静で退却戦に強いことを評価したものだ。戦で退却するとき、一気に引いてしまっては追手に隙を与えることになる。適度に抗戦しながら引かなければ、軍全体が危機に陥る可能性もある。そのため、最後尾に位置する一団の役割はとても大きく、軍のエース格がこれを担うケースが多い。イメージアップ戦略を成功させた昌信は、知恵で勝負するタイプとの印象を持つが、軍事面でもかなりの実力者だった。そのため、信玄は昌信を、もっとも激しいポジションの役職に充てた。

そんな昌信の仕事に対する姿勢はこの上なく慎重だったという。まずプランを立て、それが実現可能かどうか検討の上に検討を重ねていた。周囲からは、「昌信は時間をかけすぎではないか?」と揶揄されることもあったようだが、「成功するためには、徹底的に検討する」という姿勢を貫いていた。そんな昌信の仕事に臨む時のポイントは次の3つだ。

1 目標を立て、情報を集め、大義を見つける
2 それを実行し成功に導ける人材を起用する
3 優秀な人材が名乗り出るよう環境を整える

慎重な昌信の考え方がよくわかるポイントであるが、とくに3番目の環境整備については、圧倒的な人材不足と言われる現代のビジネスシーンにおいては最大の経営課題と言えるだろう。入社間もない若手が、仕事にやりがいを見つけて積極的に取り組んだり、他社から能力の高い転職希望者が集まったりする労働環境の整備。このテーマに、もし、現世の企業で昌信が広報マンとしてあったとしたら、どんな策をもって臨むだろう? 残念ながらその答えは残されていない。
顧客の立場に立ち、その要望に応えて自らの立場を上げる 成功のためには、徹底的に検討する

窮地を凌ぐベテランの知恵と振る舞い

令和元年、経済界から「終身雇用制度の維持は難しい」という声があがり始めた。これまでも、中高年を対象とした早期退職制度などの人事改革は多くの企業で行われてきたが、ベテラン社員の知識や経験を捨て、会社の若返りや経営の効率化を安易に求める企業の姿勢について、考えさせられる史実が武田家にはある。

信玄亡き後、家督を継いだ勝頼は、若手を重用し、昌信などの老臣は遠ざけられていた。そんな状況の中、織田・徳川連合軍との間に"長篠の戦い"が勃発する。直前まで、老臣たちは信玄の遺言に倣い戦うことをやめるよう諫言したが、勝頼は戦闘開始を決定する。このとき昌信は参戦していなかったが、結果的に武田軍は大敗し、多くの有力家臣(昌信の子も含まれる)を失うこととなる。
戦に敗れた勝頼一行は、悲惨な姿で帰ってきたが、昌信はこれを途中で出迎え、新しい衣服や武具などを用意し、あたかも勝利して凱旋したかのごとく入城させたという。こうした昌信の計らいは、「大将たるもの身内にすら弱みを見せてはならぬ」という思いがあってのことだろう。そしてそれは、武田の広報マンとして長年イメージ戦略を行ってきたベテランならではの窮地を凌ぐ知恵であり、今のビジネスシーンにも重ね合わせて考えることができる。

たとえば、会社の業績が芳しくない時、経営トップが疲れ果て、暗い顔を見せていればどうだろう。当然ながら、周囲の社員も不安になってモチベーションは上がらない。そうならぬよう、たとえそれが"虚勢"であっても、社員を鼓舞して起死回生を図るよう仕向けるのがベテランたちの役割だ。

一行が帰城した後、すぐさま昌信は立て直しの提案をおこなったが、残念なことに採用されることはなかった。ここでも勝頼は、ベテランの意見を無視したのだ。その後、外交の失敗や裏切りなどにより、武田家は崩壊。わずか7年後には滅亡してしまった。(このとき昌信はすでに他界していた)
トップが代わり、若手を重用する企業も多いが、経験豊富なベテランは、無形のビジネス資源となる。これを手放すことによって組織の力が落ち、結果として企業が短命に終わるという結果は、現代社会においても至るところに顕在する。

昌信は、武田の危機を感じながらその生涯を終えた。武田氏の戦略・戦術書である『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』は、昌信の口述を元にしたと言われており、後世の武田家研究の重要な資料となった。そこには、武田家臣団の事跡・逸話などが数多く含まれ、勇猛な武田騎馬軍団、相手が恐れた「風林火山」の軍旗、軍師・山本勘助の活躍など、私たち現代人がイメージする武田家の姿が記されている。昌信のイメージアップ戦略は、死してなお、現代にまで大きな影響を与えているのだ。

口頭のほうが正確に伝わることも多い ベテランは企業の重要なビジネス資源

高坂昌信ゆかりの地

海津城址(松代城内)

海津城は、北信濃の軍事的・政治的拠点だった。大坂の陣を経て、真田信之がこの地に入り、明治を迎えるまでの約250年間真田家の居城となった。

信州松代観光協会
〒381-1231長野市松代町松代44
http://www.matsushiro-year.jp/

福井市一乗谷朝倉氏遺跡
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■記事公開日:2019/07/10
▼構成=編集部 ▼文=小山眞史 ▼イラスト=吉田たつちか ▼写真=フリー素材

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