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第2回 アメとムチのコーチングによって、部下を「やる気」にさせた鬼 立花 道雪

豊後国(福岡県東部、大分県北部)の大名・大友氏の重臣。本名は、戸次鑑連(べっき あきつら)で、本人は立花姓を使ってはいないが、
筑前国(福岡県西部)・立花山城を本拠としたことなどから、この名で広く知られる。l5l3(永正10)~l585(天正13)年。

「鬼道雪」と周辺の国々から恐れられた立花道雪は、落雷によって足が不自由になりながらも戦い続けた"猛将"だ。
しかし、それは1つの側面にしか過ぎない。部下への配慮を欠かさず、リーダーとしての責任感も強い。
また、上司の行いが悪ければ諫言もするが、その忠義心は揺らがない。
道雪の名は他国にも伝わり、遠く離れた甲斐国(山梨県)・武田信玄から
「会いたい」というヘッドハンティングの"書状"が届いたほどだ。
それほどの評価を得ていた"鬼"は、現代人にとってもヒントになる逸話を数多く残している。
そこで今回は、立花道雪の生涯を振り返りながら、現代ビジネスマンにも投影できる"リーダーの資質"を探ってみたい。

褒めるコーチングを徹底したリーダー

キリシタン大名として、天正遣欧少年使節をローマに派遣したことなどで知られる大友宗麟。海外貿易による経済力の強化と巧みな外交戦略によって領国を拡大。最盛期には北九州6カ国の守護職となった。現代に置き換えれば、いわゆる"グローバル企業のトップ"である。その影には、優秀な部下たちの働きがあった。中でも立花道雪は、部下の統率力に優れ、比類なきリーダーシップで宗麟の領国経営を支えた。

戦国武将たちの逸話を集めた『常山紀談』には、次のような道雪の言葉が残されている... 「武士に弱い者はいない。もし弱い者がいれば、その者が悪いのではなく、大将が励まさない罪による。わが配下の武士は言うに及ばず。下部に至っても武功の無い者はない。他家にあって後れをとる武士があらば、わが方に来て仕えるがよい。見違えるような優れ者にしてやろう」。 この信念と自信こそが、道雪の部下と向き合う原点だ。

たとえば、戦で働きが悪かった部下には、「戦は時の運。君の頑張りはわかっている。手柄を立てようと討ち死にしてはならない。君がいるからこそ、私も安心して戦に出られるのだ」と語り、その者と酒を酌み交わしたりもした。また、戦で活躍する部下を見つけると、「あの者を見よ。私の睨んだ通りだ」と周囲にもわかるように大きな声で称賛したという。このような"褒めるコーチング"は、大いに部下の"やる気"を起こさせた。当然、道雪軍は無類の強さを発揮して、生涯の合戦の成績は、37戦37勝だったという。

褒めることで「やる気」を持たせる

部下のささいなミスは追及しない

道雪の部下に対する配慮は、戦のときだけではない。ある日、客を招いての酒宴で部下が粗相をしてしまった。そのとき道雪は、「部下が失礼をしたが、この者は戦では何人分もの働きをする。特に槍の扱いなどは当家一であろう」と客に話し、部下を褒めたて、恥をかかせなかったという。

こうした道雪の振る舞いは、ビジネスシーンでも参考にしたい。皆さんは、ささいなことで部下を厳しく叱ったり、罰したりしていないだろうか。それが積み重なれば、当の部下だけでなく、それを見ている周囲の人も委縮して"忖度"に走ることになるだろう。それよりも、その人物が持つ本来の能力を褒め、それをさらに発揮できるよう導くことを道雪は重視していた。これはまさしくコーチングの高等技術である。 このような扱いを受けた部下たちが、頑張らないわけがない。事実、酒宴で粗相をした者は、最後まで忠を尽くし、足の悪い道雪を守りながら戦ったと伝えられている。

ささいなことで罰すれば信頼を失う

自らが先頭に立ちその姿勢を部下に見せる

若い頃の道雪は、自ら槍を持ち多くの敵を倒している。のちに落雷のために足が不自由になると、部下に輿を担がせて出陣。その上で戦況を分析しながら、機を見て棒で輿の縁をたたき、「エイ、トゥ、エイ、トウ」と掛け声をかけるようになった。
そのタイミングが絶妙だったという。やや気後れしていた部下たちもこれを聞くと不思議な力を得たように奮い立ち、戦闘意欲を高めて戦ったという。上司である道雪に対する日頃からの信頼感がそうさせたものであろう。この掛け声はチームワークの象徴となっていたという。

また、戦いが劣勢になると、「わが輿を敵中に運べ」と指示するのが常だった。これを見た部下たちは「道雪さまを守れ!」とばかりにその場に踏みとどまり、さらに懸命に戦ったという。 これも部下を鼓舞するための道雪流のテクニックであったのだろうが、現代のビジネス社会に置き換えても、"強いチームワーク"を作り上げるためのリーダーの立ち居振る舞いに相通じるものがある。つまり、難題に直面したときこそ、自らが率先してその渦中で汗をかくことがリーダーには求められる。まさにそれを道雪は体現していたということができるだろう。

自ら難題に取り組む姿勢を見せる

厳しさでチームの結束力を高め、上司の信頼を得る

そうした一方道雪は、単に優しいだけではなく、軍律に関しては苛烈な上司でもあった。ある合戦で敵方と対陣したまま越年することになったとき、一部の部下たちが無断で自陣を離れて、家へ戻ってしまった。それを知った道雪は激怒し、直ちに追っ手を差し向け、部下のみならずその親をも殺害するように命じた。重臣たちが止めようとしても「大事な戦場の持ち場から逃げ帰ってくる息子を追い返さない限り、その親も同罪だ!」と言って取り合わず、本物の"鬼"に豹変したのだという。これは極端な例であるが、チームの結束力を考える上では必要な振る舞いだ。

皆さんも考えてみていただきたい。プロジェクトを進める中で、誰か一人が手を抜けば、必ず「自分も少しくらい手を抜いても大丈夫だろう」と考える者が現れる。それが広まればチーム全体の士気を低下させるばかりで、良い結果が出るはずもない。つまり、ささいなミスには鷹揚に構えているべきだが、チームに悪しき風を吹き込む手抜きについては、手加減なしの厳しさを持って接することで、より強固な団結力を築いてゆく。まさしく"アメとムチ"を使い分けた人材コーチングのセオリーだ。

道雪の厳しさは、上司にも向けられている。大友宗麟といえば、天正遣欧少年使節の派遣のほかにも、病院や孤児院を建てたり、積極的に海外貿易を行ったことで、いわゆる"名君"との評価が高い。その一方では、とんでもない所業を繰り返していた時期がある。出家前の宗麟は無類の女好きで、政務を放り出して連夜のように酒宴を繰り返す。さらに、自らは真剣、相手には木刀を持たせて剣術の稽古をし、相手を負傷させるなどの残虐な行いもあったという。

道雪は、このような振る舞いを諫めようとするが、宗麟は口うるさい部下である道雪と会おうとはしない。そこで道雪は考えた。上方から美人の踊り子一座を呼び寄せ、自らの屋敷で昼夜問わず踊らせたという。それを知り、まんまと道雪の屋敷を訪れた宗麟に詰め寄り、ここぞとばかりに猛省を促したという。宗麟はこれを機に襟を正し、以降も、たびたび主君に諫言したことで、二人の間にも大きな信頼関係が築かれていったという、あっぱれな逸話も残っている。

厳しい態度で物申し、上司の誤りを正すというのは相当覚悟のいることだ。「経営戦国時代」と言われる現代なら尚のこと、いかにそれが正論であろうとも、その一言が激動の今を生き抜く経営トップの逆鱗に触れることにもなり兼ねない。しかし、そこであえて意見する勇気を持つ者こそが真の"懐刀"として重用されることもまた事実。道雪の行いは時代を超えて管理職の"お手本"ということができるのではないか。

ときには厳しい態度で士気を保つ

主家がピンチになっても挽回を目指す

この時期の北九州は、中国地方から毛利が侵攻。各地の大名が激しく争い、特に要地である立花山城を巡っては、壮絶な戦いが繰り広げられた。立花山城を奪取した道雪は、宗麟から城の守護に任命され、主家のある豊後から遠く離れたこの地が本拠となった。
その後も幾度となく敵勢が押し寄せるが、主家からの援軍はなく、少ない兵力でこれに対抗。城に立て籠りゲリラ戦を行うなど、さまざまなアイデアを駆使して城の窮地を凌ぎ続けた。

その間、道雪と宗麟とのやり取りは手紙が中心。現代ならばメールのやり取りのみで、ほとんど会う機会がなかったという。強い敵が現れたら主家を裏切り強きにつくこと(転職)が当たり前であった戦国の世にあって、顔も合わせない主家を守るために戦い続けた道雪は、まさに忠義の臣。転職全盛の時代に、極めてロイヤリティ(愛社精神)の高い管理職だったことが推測できる。つまり、本人が気づいていたか否かは定かでないが、宗麟はかなり運のいいトップであったことは間違いないだろう。

最大のピンチは1578年に訪れる。島津の日向侵攻に対して宗麟は出陣を決意するが、道雪は反対した。その不安は的中し、耳川で大友軍は大敗(道雪は参加していない)してしまう。それを知った道雪は、敗戦後、慌てふためく家中をまとめようと、若い重臣たちにこんなメッセージを送っている...
「自分さえ無事であればよい、という考えでは公私ともに気勢を失う」「すべてをさらけ出し主家のことに尽力して、後世に名をあげることが重要だ」これは、落ち目になった主家を盛り立て、挽回を目指すための書状であった。
苦しいときほど一丸になることの重要性を若手に説いたこの言葉は、経済情勢や経営環境の変化が激しい現代においても、リーダーに必要な資質を表したものとして今も語りつがれている。

道雪の最期は、高齢を押して出陣した柳川の地。その陣中で病に倒れて死去した。養子の立花宗茂は、棺を立花山城下に持ち帰ることにした。このとき、道雪の棺を守って戦場を引き上げる大友軍に対し、対峙する島津・秋月両軍は、道雪の棺だと知って誰一人追撃することはなかったという。

ピンチのときこそ一丸となる

立花道雪ゆかりの地

大分県柳川市

立花宗茂が秀吉から与えられた柳川。父・道雪の無念を晴らした。
大分県柳川市ホームページ
http://www.city.yanagawa.fukuoka.jp/kanko.html

立花宗茂が秀吉から与えられた柳川
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■記事公開日:2018/05/28
▼構成=編集部 ▼文=小山眞史 ▼イラスト=吉田たつちか ▼写真=フリー素材

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