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第3回 実務家としての役割を見極め、天下取りを支えたNO.2 蜂須賀(小六)正勝

尾張国蜂須賀村(愛知県あま市)生まれ。通称の「小六」の名で広く知られる。尾張統一を果たした織田信長の配下となり、自分より11歳も若い豊臣秀吉の側近として軍事面で活躍。一方で優れた政治手腕を発揮し、秀吉の天下取りに大きく貢献した。l526~l586(天正14)年。

秀吉の"天下取り"を支援した"参謀"というと、本シリーズの第1回で紹介した竹中半兵衛や黒田官兵衛などがよく知られているが、組織内政や対外関係を取りまとめる実務実績という点では蜂須賀正勝に勝る者はまずいない。
正勝は、もともと武士ではなく、戦のときに雇われる"傭兵"で、今風に言えば"契約社員"という立場であった。
傭兵のイメージから、ドラマや小説では"荒くれ者"として描かれることが多い正勝だが、実際には、思慮深く冷静で、人心の機微にもきわめて敏感。そして何より、各方面に顔が利く人物。秀吉の"天下取り"に大きく貢献した大ベテランの実務家だ。
そこで今回は、蜂須賀正勝のバックグラウンドと働きぶりを振り返りながら"若き上司を支える実務家"としての生き方を探ってみたい。

あらゆる階層に広げた人脈が強み

正勝が育った濃尾平野は、木曽川や長良川、揖斐川といった大河川が流れる穀倉地帯だった。そのため、水上運送が発達し、それを生業とした"川並衆"と呼ばれる集団が自然発生的に出来上がっていた。中でも筆頭格の規模を誇った"蜂須賀党"のリーダーが正勝だった。
彼らは農民でも武士でもない。水運業のほかに、商品輸送の際の護衛や牛馬の仲買業など、さまざまな仕事をこなすビジネス集団だ。川並衆同士が提携して1つの仕事にあたることもあり、そのため、多くの人員を動員することができ、武家同士の衝突があると"傭兵"として駆り出されることも多かったという。

地域に根差した川並衆は、当然ながら経済的にも人間関係の上でも商家や武家との結びつきが深くなる。一方で、地元の国人や土豪などとも広く姻戚関係を結んでいたため、あらゆる階層に人脈を持っていた。その中でリーダーシップを振るう正勝は、まさに"地域社会の顔役"で、織田信長も一目置いていた。
はじめ正勝は、尾張の斯波家、美濃の斎藤家などに雇われて戦っていたが、やがて、尾張が信長によって統一されたこともあり織田家の専従となる。そして、その頃から頭角を現しはじめていた若き秀吉の与カとして仕えることになる。当時の正勝は40歳直前。まさしく"シニア世代の転職"であった。

多くの仲間とあらゆる階層に広がった人脈

年の功を振りかざすことなく、若い上司を徹底フォロー

この時代の平均寿命は50歳前後、40歳は隠居に入る年齢だったとも言われている。つまり正勝は、そろそろ隠居生活に入ろうかという時期に、生き馬の目を抜く勢いで戦国時代を駆け抜けた秀吉の側近となったわけである。
正勝と秀吉の年齢差は11歳。しかも正勝自身が蜂須賀党で秀吉を配下に置いた時期もあったようだ。その秀吉が、美濃国衆の調略のために派遣されてきた。かつて自分が面倒をみていた若者が上司となってやってきたのである。

当たり前に考えれば面白いはずがない。いかに契約社員から本採用になった身であれ、元を辿れば自分の会社でバイトをしていた小僧のようなものである。今なお、「すべてにおいて自分の方が勝っている」と考えて斜に構えて接したり、時には昔の気分で上から目線の物言いをすることも十分あり得る。
ところが正勝はそうした態度を一切見せず若い上司を支えた。そこが正勝の"人を見る目の確かさ"と"実務家としての思慮深さ"でもあった。

年功序列が崩壊した現代社会は、まさにビジネス戦国時代。そこに気づかず(あるいは認めようとせず)、年の功を振りかざして若手上司と接するのは大いに危険だ。いかに経験豊富であろうとも、培ってきた知恵はこっそりと耳打ちして上司の手柄にするのが優れた側近の嗜み。それを正勝は心得ていたのである。
事実、実績が乏しかった秀吉を、正勝は川並衆として培った人脈を活かして最大限にフォローした。その有名なエピソードが「墨俣(すのまた)の一夜城」だ。美濃攻略の戦略的な拠点であった墨俣にわずか一夜で城を築いたというものだが、この頃の秀吉には、まだ多くの人員を手配できる力はなかった。そこで築城に必要な人員を正勝が手配。さらには、川運の知識を活かして資材運搬を指揮。これにより、若い秀吉に対する信長からの評価は、大いに高まったという。

自分の能力を最大限に活かして若い上司をフォロー

実務能力を発揮してトップを支える

美濃攻略で認められた秀吉は、一軍を率いる将に抜擢された。これ以後正勝は、秀吉軍の中心的存在として軍事面でも大活躍する。当時の秀吉は、軍事に関しても素人同然だったと考えられるので、戦のたびに経験豊富な正勝に助言を求めた。そうしていくうちに、秀吉自身も成長していったのである。

ビジネスも全く同じだ。同族経営の二代目、三代目が会社をボトムアップさせてゆくためには、冷静に会社の状況を判断できる経験豊富な実務家の存在が欠かせないと言われている。今でこそ、そうした風潮が当たり前のように言われるが、強きになびく戦国の世にあって、軍事戦略が素人同然だった若き上司をサポートすべく影日向なく働いた背景には、正勝の「この男は必ず大出世する」という見立てがあったことは言うまでもない。裏を返せば秀吉という男は、それだけ魅力的な人物でもあったということだろう。

なにしろ正勝は、知略と人脈に長けた実務家として、忙しい秀吉の代理となり各方面との交渉や調整業務など大量の実務をこなした。また秀吉も正勝を全面的に信頼しており、細かいことには一切口出ししなかった。苛烈な気性で猜疑心の強い一面を持つ秀吉にしては、珍しい部下との接し方であるように思えるが、すべては正勝の"大人としての振る舞い"が築いた信頼関係だったと言えるだろう。
企業においても、規模が大きくなればなるほど、経営者の役割や業務量は増える。そこで、経営者に代わって実務を積極的かつ的確にこなす人材がいれば、経営者は経営に専念し、判断を間違えずにビジネスを前に進めることができる。つまり企業が成長する大きな要素の1つは、トップを影で支える実務能力に長けた人物の存在なのだ。
さて、御社には、正勝のような実務家がいらっしゃるだろうか?

経営者に代わって実務を積極的かつ的確にこなす

若手の意見を尊重 自らの役割を全うする

正勝は上司に対してだけでなく年の離れた後輩たちにも大人の振る舞いで接した。ご存じの通り、秀吉には、竹中半兵衛や黒田官兵衛という2人の軍師がいたが、彼らは、正勝よりもかなり年下(半兵衛18歳差・官兵衛21歳差)だ。秀吉を古くから支えてきた正勝が彼らを軽視したとしても不思議はないだろう。ところが正勝は、この後輩たちの才能をも見抜き、彼らが立てた戦略に従って実務を担当。大いに機能したのである。

たとえば、秀吉軍が中国地方に侵攻した際、毛利方の高松城の周囲を土手で固め、川から水を流し込むという「水攻め」を実行する。これを企画したのは官兵衛だったが、正勝は、堤防づくりの普請奉行として工事現場で自ら指揮を執った。このとき正勝は56歳。当時としては高齢で、しかも役職としては相談役クラスである。「今さら現場仕事はしたくない」となるのが普通だが、優れたプランとそれを補う自らの経験則(川並衆としての水運実績)を見極めて、正勝は、率先して現場仕事に就いたという。

仮に、プランに正当性が感じられても、それが、20歳以上も歳の離れた後輩のものとなると、素直に認めたくない、従いたくない、というのは理解できる感情だ。しかし、ビジネス環境の変化は目まぐるしく、そのスピードに対応するためには、立場を超えて若い社員の意見を尊重することも必要だ。しかも、自分の得意分野で組織に貢献できれば、若手に対して示しもつくし、企業の総合力を向上させる原動力にもなる。そうした行動原理を、既に体現していた正勝は、まさしく理想の上司だったと言えるだろう。

若手の意見を尊重し、自らも得意分野で貢献

優れた交渉力で「ウインウインの関係」を導く

高松城の水攻めの最中、「本能寺の変」が勃発する。明智光秀を追討したい秀吉は速やかに毛利との和議をまとめなくてはならないが、これまでの関係性から考えると交渉は難航することが予想された。そこで秀吉が代理に指名したのが正勝だ。
秀吉は当初、毛利が治める5国の割譲と城主の切腹を要求したが、正勝はこれに反対する。そして、「条件をゆるめ、3国割譲にすべき」と秀吉に進言。しかし、秀吉は納得せず、武力で解決しようとさえした。

この時の正勝の思いはこうだ。「戦では時間もかかるし、相手の恨みを買うことにもなる。メリットは何もない。相手の抵抗する力を抑え、しかも禍根を残さないようにするには、せめて3国割譲が妥当だ」。そんな正勝のゆるぎない信念に押され、秀吉はようやくこの案を承諾した。つまり、双方の顔を立てた妥協案と、人心の機微を感じ取った上での冷静な判断力が、上司のミスリードを救ったのだった。

双方が納得する交渉結果を得ることは、ビジネスでも極めて重要だ。一方的に要求を通せば、短期的な利益を生むかもしれないが、感情的なしこりが残り、長期的にはマイナスになる恐れもある。禍根を残さぬよう、できるだけ穏便に物事を進め、最終的には思い通りの方向に進むよう筋道をつくることが肝心なのだ。
この後正勝は、3年にわたって毛利方との細かな交渉を行うことになるが、結果的には、双方に利をもたらすこととなる。秀吉が天下人となった頃には、両家の溝は埋まっており、毛利家から毛利輝元と小早川隆景の2名が政権の五大老に選ばれた。まさに正勝の交渉の巧みさが生んだ、"ウインウインの関係"だ。

このように、秀吉の重大局面では必ずといっていいほど正勝が重要な働きをしている。それは、決して華々しく目立つものではないが、何より秀吉の立場を尊重し、組織全体を押し上げる強力な推進力となった。トップの秀吉自身が実行することはできないが、組織としては欠かすことのできないのが、準備や手配、さらには調整や交渉までを行う実務家である。そんな正勝が果たした役割は限りなく大きい。

双方に利をもたらす

蜂須賀正勝ゆかりの地

愛知県指定名勝 蓮華寺

蜂須賀弘法と親しまれている蓮華寺は、弘法大師が開いたと伝わる。
正勝とその子家政の菩提寺で、近くに「蜂須賀小六正勝公碑」と「蜂須賀城趾」の石碑が建つ。

所在地:愛知県あま市蜂須賀1352
交通:名古屋鉄道津島線 青塚駅から徒歩で10分
あま市観光協会 あま市観光協会ホームページ
http://www.ama-kankou.jp/history/

愛知県指定名勝 蓮華寺
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■記事公開日:2018/07/30
▼構成=編集部 ▼文=小山眞史 ▼イラスト=吉田たつちか ▼写真=フリー素材

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